多摩川スピードウェイ 〜日本初の常設モーターサーキット〜 |
2016年7月24日(日)
日本初の常設サーキットは多摩川 河川敷に建設されました。 電車で東急線 新丸子駅に到着! トボトボと15分くらい歩いて河川敷に到着! この土手のコンクリ階段が実は当時のスタンド席なのだそうです。 で、鉄橋方面に歩いて、、、モニュメントプレートを見つけました。 台座に埋め込まれてるのかなーと思っていましたが、 どんなレース情景だったんだろう?と頭の中で思い描きながら、 お昼ご飯の後は、歩いて等々力競技場を目指します。 結構遠い・・・競技場までやっと到着。 でも、ここがゴールではなく・・・。 目的地の川崎市市民ミュージアムに到着!疲れた〜。 多摩川サーキットの展示会を見に来ました。(2016年7月31日まで) 昔の貴重な資料が展示されてます。 第1回全国自動車競走大会のエントリーリストに本田宗一郎さんの名前が!! で、ハママツ号はトップを独走されてたそうですが!! クラッシュした「ハママツ号」 ブガッティのステアリングです。 多摩川サーキットは東急が建設したのでしょうかねぇ。 たぶん、この大会で宗一郎さんが優勝している・・・はず(汗) スタートシーンの写真かな? アート商会工場内の写真でしょうか。 バイクのレースも開催されていました。 日産チームです。 昔の地図に、サーキットが記載されています。 80年前造られ、存在していたサーキットの貴重な資料、写真、面白かったです。 この画は本田技術研究所に勤められていた方が描いたとパンフレットに書いてありました。 丸子橋付近を通る際は、このプレートを探しに寄り道してくださいね。
今年、開設80周年記念として、かつてサーキットがありレースが行われた場所を
後世に伝える展示会があったので、見に行ってきました。
[参加者]
二代目
徒歩で多摩川の土手を目指します。
当時のスタンド席に直接埋め込んで設置されてました。
ヨッチお手製のオニギリ食べます(笑:お昼ごはん)
車両名が「浜松号」となっていますが、フォードをチューニングした車両です。
周回遅れと接触、大クラッシュ・・・
弟の弁二郎さんと共に車外に放り投げられますが、奇跡的に助かっています。
本田弁二郎さんについて
宗一郎さんを縁の下で支えていた弁二郎さんですが、
ホンダに「親族の入社禁止」=「会社は個人の所有物ではない」が決まり、
本田技研工業を去りますが、「本田金属技術株式会社」という会社を立ち上げられ、
現在もホンダグループ内に存在します。
ちなみに、NR(750)の楕円ピストンは本田金属技術で製造されてました。
中央に写っているのが宗一郎さんです。
現在のアート商会は「アート金属工業株式会社」となり現存していますが、
平成29年4月にアイシン精機と経営統合(吸収合併)の予定です。名前残るのかな?
ちなみに、アート金属工業社はピストンを製造するメーカーで、
CB1000SFの純正ピストンには"ART"の刻印がありますよ。
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